思い出写真館
高校を卒業したのは、はるか昔になってしまったような気がします。
私は、母校の一回生で、体育の授業は石拾いをしてグラウンドを整備といった具合で、なにをするのも手探り、手作り。
そんな毎日も今は懐かしい思い出になってしまいました。
我が恩師。
初代写真部の顧問も勤めていただきました。
師の教え「人生は登山なり」の言葉の響きは今でも耳に残っています。
昔、仙台には寮歌祭というイベントがありました。
羽織袴、バンカラといったいでたちの行進は圧巻の一言につき、彼らの寮歌の響きは迫力以外のなにものでもありませんでした。
凛々と
(本画像は後輩に寄贈)
友人(我が校初代応援団長)。
上掲の我が恩師の写真と同じ寮歌祭にて撮影
なかなか気のよいおどけた性格の人間でしたが、さすが団長、こういう舞台ではなかなかさまになっています。
きりり
(本画像は後輩に寄贈)
校長先生。(我が校初代校長)
しっかりとした信念をお持ちの先生でした。
厳しい反面、大変きさくな師で、いろいろとお話をさせていただきました。
写真は高体連の陸上競技の会場でのスナップです。
青年のごとく
バレーボール大会だと思います。
多分、顔ぶれからすると2年生のときの写真だと思います。
優勝はできなかったと記憶していますが、なんか楽しそうです。
もちろん、私もこの中にいます。
写真部の私が写っている写真は大変めずらしいです。タイマーと三脚で撮影しています。
集合写真
このスナップは、野球の応援準備のときのものです。
健闘したのですが、残念ながら、試合は負けてしまいました。
向かって左側の彼は、吹奏楽部の初代部長で、3年生のときは1組、"あ"ではじまる苗字のため出席番号1番、そう、この人こそ、我高の卒業第1番目の人なのであります。
こういう1番は狙えるものではないよ。
戦い前に
ためにならない撮影その他のデータ
以下にテキトウな撮影、その他のデータを記します。
カメラ PENTAX MX
その他詳しいデータは残っておりません。
画像補正 HPに添付するために行った画像のサイズ調整以外の処理は行っていません。